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街場の共同体論

 

定期的に整体教室に通っている生徒さんに教室の魅力を語っていただいたインタビューを公開しました。(上の画像をクリックすると読むことができます)

 

まだ教室に参加したことがない人に、少しでも教室の雰囲気が伝わればと思って企画したのですが、すでに通っている生徒さん同士が読むと、「あの人はこんな思いを抱いて教室に参加しているのか〜」と親近感が湧いたり、「皆自分と似たようなことを感じて稽古している」ということがわかって、なかなか楽しいページになっているようです。

 

Hさんは定年退職後、整体を学んでいます。

自身を「終わった人」と表現されていますが、Hさんを私はシニアとして見たことがなく、悲哀とは真逆の若々しさを感じていたので、Hさんの文章を読んで驚きました。いかにして生きるかという問いはいくつになってもつきまといます。長年の肩書きが外れた時にこそ、迫ってくるのかもしれません。

年を重ねると人からものを教わる機会も減りますし、まして年下の人間から学ぶことなどなにもないと頑固になる大人も多い中で、謙虚に学ぶHさんにはただただ頭が下がるばかりです。

 

今の四十代以上はバブル期にノスタルジーを感じているし、グローバル資本主義のエートスを深く内面化してしまっているので、どうしても師弟関係が苦手なんです。商取引的な関係以外のものをうまく想定できない。有用な技術や知識を手に入れて、それに対して代価を払うという枠組みから出られない。「消費者としての主体」に居着いている。

(街場の共同体論/内田樹 203ページ)

 

武道と同様、整体の知識や技術は「それください」と商品を買いに行くような感覚でお金と交換するようなものではないし、すでに知っている知識を増やすようなものでもありません。今まで身につけたものをすべて捨て去って、根本から体の使い方、心の使い方を変えていくことになるので、私は教室に通う生徒さんを「自分の枠から飛び出すことのできる勇敢な人」だと思っています。

 

若い人にとって気の毒なのは、ロールモデルがいないということですよね。子供の頃から「ちゃんとしたおとな」を身近に見る機会がない。家庭にもいないし、学校にもいないし、テレビの画面の中にも、どこにも「おとな」が出てこないわけですから。「おとな」っていうのがどんなたたずまいで、どんなふうに話して、どんなふうな表情をするものか、じっくり見たことがないわけですよ。

テレビに出てきて、「最近の若いものは幼児的で困る。もっと公共心を持て」と怒鳴る人はいますけれども、そういうことを言っている人自身が、かなり幼児的なわけですから、そんな人に怒鳴られても、「おとな」というのはどういうものか誰もわからない。(265ページ)

若い人たちの成熟を支援するためには、とにかく上から手を差し伸べて引っ張りあげないと。年長者が若者を支援しなきゃダメなんですよ。(229ページ)

 

教室には20代前半の生徒さんもいらっしゃいますが、できるだけ多くのロールモデルを知ることで人生は豊かなものになると思っています。既存の生き方に捉われない人が集まる整体教室での学びは必ず宝物になります。

大人のみなさま。ちゃんとした大人である必要も、立派な生き方を見せる必要はありません。むしろ変な大人であってください(笑)。不恰好でも、不甲斐なくても、生きているそのままの姿を見せてください。その姿が、人に思わぬ影響を与えるかもしれません。

 

修行の場であり、母港、アジール(避難所)として機能する教室作りはこれからも続きます。

 

本・映画 00:37 comments(0)
葬送の仕事師たち

葬儀社社員や社員を目指す学生、納棺師、エンバーマー(遺体の消毒、保存、修復を行う人)、火葬場職員など、死と向き合うプロたちの生の声、葬送の実際がよくわかる本。

 

孤独死して数ヶ月経ってしまった人の部屋の状態(蛆が部屋中に湧いて掃除機で吸いながら進まないと遺体まで辿り着けない)や、火葬場職員の「きれいに焼く」話などはかなり生々しく、想像の何倍も大変な仕事だということがわかる。

 

葬儀会社に務める堀井さんという方の言葉が印象的だ。

 

三歳の男の子を亡くした母親の話

葬式が終わり、棺の蓋を閉めようとしたとき、お母さんが『いややいやや』と泣き叫び、中の男の子を引きずり出して抱き上げ、離さなかった。

「それほど深く大きい悲しみやったのに、人は強いです。どんな深い悲しみからも、立ち上がる力を持っているんです」

「僕ら葬儀会社は『傘』やなと思うんです。亡くなった人のご家族の傘。深い悲しみに陥った家族がやがて一区切りついて日常に戻ると、傘なんか要らなくなる。電車の中に置き忘れられるくらいでちょうどいいんです。」

 

どれも過酷で光の当たらない仕事だが、死や病、穢れといったものが病院の中だけのものになり、生活から切り離されたことで生まれた病がたくさんある。孤独死はネットのニュースでもよく取り上げられる。特殊清掃などもますます注目されるだろう。働く人の声が聴いてみたい。

本・映画 00:16 comments(0)
たのしいうんどう

「たのしいうんどう/平尾剛」

基本的なからだの仕組みから、運動が楽しくなる遊び、からだの使い方がいろいろ載っています(おどる、走る、ジャンプする、ボールを投げる・ける、泳ぐ)。児童書ですが大人が読んでもたのしい一冊。

ヨガの先生と一緒に教室を始めて一年になります。ヨガと整体教室はやることは違いますが、お伝えしたいことは似ています。
「人と比べなくて良いから楽しく体を動かしてください」

人に笑われたらやだなとか、失敗しないようにうまくやろうとか、こういう気持ちが運動をつまらないものにし、また成長の妨げになります。

比べるのは昨日の自分のみ。
私の整体教室も、朝倉先生のヨガレッスンも、学校で体育が嫌いになった人にこそ来て欲しいなと思います。

今までできなかったことができるようになるって楽しいよ。

本・映画 00:16 comments(0)
シン・ゴジラ

ミーハー魂を発揮して観に行った。

東横線ユーザーとしては、いつも車内から眺める多摩川・武蔵小杉での攻防に胸が熱くなった。

 

震災の被災者でもないし、特撮映画に思い入れがあるわけでもないのに、ゴジラがただ歩いているその姿を見ているだけで涙が込み上げてくる。ゴジラのモーションキャプチャーを担当したのは野村萬斎で、「神、幽霊、怪物のような侵しがたい存在感を表現した」とのこと。今回のゴジラを見ていると恐怖ではなく恍惚、畏怖といった言葉が思い浮かぶ。

 

なんやかんやあってゴジラをやっつけてめでたしめでたし、ではなく決着のつかない形で終わるのも良かった。震災も原発事故も終わってはいないし、属国日本の戦後は続くよどこまでもだ。首都直下型地震が来た時も会議会議の連続で何一つ決まらないのかと思うとうんざりするけれど、スクラップアンドビルドでこの国は何度でも立ち上がるのだ。とにかく面白かった。あと10回くらい観たい。

 

帰りがけ多摩川駅近くの公園で武蔵小杉に向かって気合いを打った。

 

神の咆哮にはほど遠い、小さな生き物の鳴き声が響いた。

 

 

 

 

本・映画 00:33 comments(0)
ちはやふる2
映画時評が好きで欠かさず聴いているライムスター宇多丸のウイークエンドシャッフル
有名作品をボロクソに酷評するのが好きで(性格悪い?)、絶賛した作品より酷評した映画の方が観たくなり(性格悪い?)、結果つまらない映画のつまらなさを一周回して楽しむという愉快な見方をしています(性格悪いな)。

日本映画に最近多い少女漫画の実写化である「ちはやふる」。
宇多丸さんがいかにも酷評しそうな映画ですが意外にも(気に入らないシーンは何ヶ所かありつつも)大絶賛なのです。上の句(前編)は時評を聴く前に、下の句(後編)は時評を聴いてから観に行ったのですが…

…すっごい良かった。

広瀬すずからほとばしる青春の分泌量がすごい!
映画化が発表された時は「主演が広瀬すずなんて…千早(原作の主人公)とイメージが違い過ぎる…」なんてがっかりしていたのですが、観終わった今の気持ちは「千早役は広瀬すずしか考えられない!」西内まりやの方が合うのではなんて思っちゃってごめんなさい!

薄暗い10代を過ごした自分としては、かるたに青春を捧げる千早たちの情熱にやられるのですが、何よりもグッと来るのが下の句終盤、宇多丸さんの言葉を借りると千早がフォース覚醒した後の「情熱の伝播」の表現。手を差し伸べるというかるたというゲームそのものと、誰かに手を差し伸べることで情熱が伝播していく様を重ね合わせ、文字通り手を握る、手を差し出す、ハイタッチするという「手」を使ったアクションで伝播を表現するのが見事で、テンポ良く手がフォーカスされる度に感情がバチン!バチン!と高揚していくんです。
楽しさと情熱を受け取り、それをまた自分が人に「手」で伝えていく。幼い頃から一人でかるたを取り続け、強過ぎるあまり人とかるたを取っていても「一人でかるた取ってるみたい」としか思えなかった千早のライバル、孤高の若宮詩暢にも情熱と楽しさが伝播し、かるたを取りながら笑顔になるシーンがまた素晴らしい…。
とにかく広瀬すずと松岡茉優がかるたを取る時の型の美しさ、スローモーションで映し出される二人の動きを見ただけで涙が出ます。上映が終わっている映画館が多いので、数ヶ月後この二人の勇姿とPerfumeの主題歌を聴くためだけにでもレンタルしてください。


手から伝わるものがあるということは、日々人の体に触れている自分にとっては馴染みのある感覚だし、圧倒的な情熱を前にした時の畏怖の念、一歩でも近づきたいと挑戦する楽しさと苦しさ、情熱が人に伝播していく喜びもまた日々感じていることです。

心折れそうになることもあるけれど、ひたすら技を磨こう。
繋がれ、まだ見ぬあなたと。

前回の記事→ちはやふる1


 
本・映画 23:11 comments(0)
冬の読書
昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか
大塚ひかり 草思社

養老孟司の“逆さメガネ” 
養老孟司 PHP新書

あなたは、なぜ、つながれないのか:ラポールと身体知
高石宏輔 春秋社

人間嫌いのルール
中島義道 PHP新書

震災後のことばー8.15からのまなざし
吉本隆明他 日本経済新聞出版社

大人の小論文教室。
理解という名の愛がほしいー大人の小論文教室。2
17歳は2回くるー大人の小論文教室。3
山田ズーニー 河出書房新社

「狂い」の説法ーわたしたちの常識
無着成恭・ひろさちや ぶんか社

死では終わらない物語について書こうと思う
釈徹宗 文藝春秋

憚りながら
後藤忠政 宝島社文庫
 
 
本・映画 15:55 comments(0)
秋の読書
小田嶋隆
コラム道 ミシマ社
その「正義」があぶない。 日経BP社

おかしいことを「おかしい」と言えない日本という社会へ
フィフィ 祥伝社

内田樹
街場の文体論 ミシマ社
街場の大学論 角川書店
街場の憂国会議 晶文社
先生はえらい ちくまプリマー新書
私の身体は頭がいい
内田樹の本は多すぎて過去に読んだのか読んでないのかわからないまま読み進め、途中で「あ、これ前に読んだわ」となる。

一九八四年 
ジョージ・オーウェル ハヤカワepi文庫
アジカンのボーカルが帯を書いていたので再読してみた。こんな時代になったらやだなぁ。

 
本・映画 22:36 comments(0)
全身当事者主義


雨宮さんの対談本ですが、一番印象に残ったのがいじめ当事者、暗器使いさんの発言。

 

 

(暗器使い)

いじめって、強制的に青春時代を奪われることだと思うんです。いじめを受けていなければ得られていたかもしれない、たとえば学校での楽しい思い出だったり、友だちだったり、恋人だったり、そういった様々な可能性を強制的に奪われて、人間に対する恐怖や不信感を植え付けられた上で、そのまま社会に放り出される、本当に最低な行為だと思います。
 

 

他者を過剰評価し、自分を過小評価してしまう。自己肯定感の低さを身につけてしまった人間が社会で生きていくのってかなり困難です。家族の理解も得られず、家庭が安らげる場所でないとしたらどこで体力を回復すれば良いのでしょう。いきなりハードモードでプレイさせられたあげくスタート地点である自分の家では回復不能、敵を倒して自力で回復場所を見つけて辿り着かないといけないなんて…過酷過ぎます(自分で始めたわけでもないのにね…)
 

 

(雨宮)

いじめ加害自殺なんて聞いたことないし、いじめた人が後にそれを苦にして悩み、うつ病になったなんて話もほとんど聞いたことがない。少なくとも、人を信じることができていることがずるい。いじめられた方は、人を信じられない経験が原点になってしまっているから、一生影響します。

そういうことを人に打ち明けてもなかなか共感してもらえない徒労感ってありますよね。「いつまでも過去に縛られてる後ろ向かかの人」っていうレッテルを貼られてしまう。
 

 

(暗器使い)

重いことを話すと、サーっと引かれて相手にされなくなって孤立するかもしれない。隠したまま笑顔で生きていかなきゃいけないんですよね。話を聞いてくれる人がまわりにいないし、言ったらどうにもならなくなっちゃうから、自分で自分を押し殺すしかない人ってたくさんいると思うんですよね。
 

 

 

自分は今三十歳なのですが、もはや自分の人生が散らかり過ぎて人に説明出来ない有り様です。表向きは「ぐだぐだフリーター続けてきたけどやっとやりたいこと見つけて勉強してる人」でやり過ごしているけれど、今に辿り着くまでにどれだけ泥を喰らい辛酸を嘗めてきたかなんて話しても引かれるだけ。隠したまま笑顔で生きなきゃいけない辛さ、痛いほどわかります。
 

 

暗器使いさんはこの対談の中でテロを起こしたい、テロに希望を抱くと発言しているけれど、そこまで思わせてしまうまでに至る経緯はなかなか想像し難いものがあります。ドン引きされるのを覚悟で書くと、自分もテロを起こす妄想ばかりしていた時期があります。電車の中で毒ガスかなんかをまいて、ばったばったと人が死んでいき、大きめの駅で逃げ惑う人々を想像すると心が休まって、眠りに就くという暗黒の時期が。そういう妄想をしてなんとか心の安定を保ってたんでしょうね。

だから無差別殺人のニュースを見ても他人事とは思えないし、犯人の生育歴を聞くと明日は我が身とさえ思っていました。
 

 

黒子のバスケ脅迫事件の犯人は「自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない『無敵の人』が増えるだろう」と不気味に予言していたけれど、事件を起こす方向に向かった人と、整体という武器を手に入れて人を活かす方向を選んだ自分との間に、それほど差異はないような気がします。今だって油断すると何もかも投げ出して死んでしまいたいと思うこともあります。正気と狂気は紙一重。
 

 

技術を身につけて人の役に立つこと、人と繋がることだけがかろうじて自分を生の方向に向かわせている。くそったれの世の中で生きづらさを抱える人を活かす、無敵の人であれ。

 

本・映画 23:14 comments(0)
夏の読書

本当の大人の作法 価値観再生道場

内田樹 名越康文 橋口いくよ ダ・ヴィンチブックス
 

わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か

平田オリザ 講談社現代新書


逆境に強い心のつくり方

北川貴英 PHP文庫
 

疲れない体をつくる「和」の身体作法 能に学ぶ深層筋エクササイズ
安田登 祥伝社黄金文庫

「機能姿勢」に気づく本

池上悟朗 BABジャパン


虫眼とアニ眼

養老孟司 宮崎駿 新潮文庫


「狂い」のすすめ

ひろさちや 集英社新書


医者と薬を遠ざける「ふくらはぎ」習慣

小池弘人 SB新書

美容の医学
黒川瀞雄 アスク

人体 失敗の進化史

遠藤秀紀 光文社新書


地雷を踏む勇気 〜人生のとるにたらない警句

小田嶋隆 技術評論社


全身当事者主義 ―死んでたまるか戦略会議

雨宮処凛 春秋社


ぼくらの民主主義なんだぜ

高橋源一郎 朝日新書


お前より私のほうが繊細だぞ!

光浦靖子 幻冬舎

 

本・映画 21:15 comments(0)
他芸に学ぶ

こちらは知の伝道師のある日のつぶやき。



僕の立場で言うと野口整体が母語。野口整体の施術における身体の使い方が合気道や弓道などの武術、能や茶道、落語といった伝統芸能で使われる身体技法に通じるものがあるので、日本固有の技法を含むものすべてが他芸であり、その辺のボディーワークセミナーに行くより、芸能の世界に身を置く人のお話を聞いた方が母語に対する理解は深まるという実感があります。
先日Mさんにお借りした「日本の身体」は内田先生とさまざまな分野の達人との対談集。そうそう!とうなづけるお話が満載でした。

<茶道家 千宗屋との対談から>
内田 きれいに身体を使っている人をそばで見ていると、その体感に同期して、気持ちよくなるんです。自分の中の体感密度も一緒に高まって、身体の内側で何かイベントが起きる。だから濃茶の時は本当に息を呑みました。千さんがそれまでと急に変わったでしょう。
 やはりここが本番、茶事の中のクライマックスですから、着物も色紋付から黒紋付に着替えています。

田 場を主宰する力というか、私の身体のテンションの変化に合わせなさい、体温の変化、呼吸の変化、細胞の動きのすべてに反応しなさい、というものすごい「指南力」が来ましたから。体感の指南力の凄まじく強い人に網を掛けられ、引っ張っていかれるのって、とても気持ちいいものなんです。でもあの点前自体は、10分とか、15分くらいのものですよね。

千 そんなものでしょう。濃茶を練り上げるまでの時間ですから。だから、あそこでは無言なんです。言葉を介した時点で、もう自他の別ができてしまう。

内田 あの場で「私が思うには」とは、絶対に言ってはいけませんね。場の緊張感が切れてしまう。せっかく全員が同期して、「われわれ」と一体化しているわけですから。p25

柔道整復の専門学校とか、マッサージのセミナーをイメージするとピンとこないんですが、整体の勉強会はどちらかというとお茶のお稽古のような雰囲気があります。施術にしても、単なる療術ではなく間の取り方、流れ、呼吸を重視した身体芸術、表現として捉えています。言葉での説明は最低限に抑え、体感ですべて理解してもらうのが理想です。触れるというのは実は言語的な、情報量の多いコミュニケーションなので、そこに言葉を加えると「監督の解説を聞きながら映画を観る」のに似たもっさりした印象になってしまいます。
最低限の説明は必要ですが、喋り過ぎるのは技術がない人のすること。逆に受ける人が雑談を始めたり、寝てしまうのも場をリードする力、指南する力のない証拠となる。ここはマッサージする場所ではないというのを口で説明せずにわかってもらうためにはやはり最初の「丁寧なおじぎ」が大事であり、もっと言うと玄関を入った瞬間に「なんか思ってたのと違うぞここ…」と思わせる空気作りが必要になってきます。
最初から一貫して場をリードし続けられれば施術も上手くいくし、受ける側も施術者の綺麗な身体の使い方に身をゆだねる心地良さを感じることができます。先生の施術を受けて「操り人形になった気分」と語ったお客さんがいたそうなんですが、言い得て妙だなぁと思いました。


<女流義太夫 鶴澤寛也との対談から>
内田 ご自分で「もうプロだな」と思うようになったのはいつ頃ですか?

寛也 あまり意識したことはありませんね…。かといって素人だとも思っていなくて、やっぱり「いつかちゃんと食べていくぞ」という志がプロということだと思ってます。 

内田 芸だけではない、生き方ですよね、プロとアマチュアの違いって。

寛也 そうなんです。音感がいい人はアマチュアにも大勢います。私のお弟子さんだって、私よりよっぽど覚えがいいですもの。でもそれがプロということではなくて、どんな時でも続けられるというか、やめるという選択肢のない人がプロなんだと思います。p147

初めて師匠の整体を受けた後、「(この仕事で食べていくには)腹を括ればできる」と仰ったのを今でも覚えています。
悩める人を救いたいとか、癒してあげたいみたいなノリは実は大嫌いで(笑)、もうこの整体を通して人とコミュニーケーションしていくしかないというか、生きていく術・自分を表現する術が他に見当たらないという崖っぷちの状況でエネルギーを爆発させて修行しています。首かけないと絶対習得できないですから。なんとも業の深い職業だとは思います…。


<治療者 池上六朗との対談から>
田 型を習うと、最初は別に違和感がないんです。初心者で下手だから教わったとおりにできないのであって、一所懸命練習すれば、うまくできるようになるだろう、と。ところが、何年やっても少しも上手くならない(笑)。そこでようやく、何か基本的に考え方が間違っていたんじゃないかという疑問が胸に萌すわけです。もしかすると、型というのは非常に高次なパズルのようなものであって、謎を解こうとしていろいろ試みているうちに、思いもかけない身体能力が開発されていくように作られているのではないか、と。

初心者のうちは型を一所懸命練習しているととりあえず筋肉くらいはつきます。ところが、中級、上級になってくると、技術的課題が「技が終わった時の視点を先取りする目付き」とか「体重移動」とか「重心の感覚」であるとか、高度化する。

やればやるほど新しい課題が出てくるからさっぱり型は仕上がらない。仕方がないから、身体の中の開発可能な部位を一つ一つ点検して、この辺ができていないから型が決まらないんじゃないかと試行錯誤する。でも結局出来ない。できないけれども、「出来なさ」の構造が次第にわかってくる。

よくできた型は、簡単には、納得させてくれない。小細工すると身体を壊す。だからこれではダメだということがわかる。そんなふうにさまざまな失敗を呼び寄せる。そのうちに、だんだん身体が練れてくる。p125

型の勉強をしている人なら誰もが共感できるお話ではないでしょうか。勉強始めた時って、自分と先生のやり方は「なんか違うけど何が違うのかわからない」って感じなんですよね。それが稽古を積み重ねると、こういう部分が違う、こういう部分も違うと、「違う点」が徐々に見えてくるようになる。自分と先生との間にある「階段の一段一段」が認識できれば、登るスピードは急激に早くなるという感想を持っています。何が違うのかがわからないとなると、何を改善すれば先生に近づけるのかもわからないということですからね。


<合気道家 多田宏との対談から>
多田 一人の師についたら、全面的にその人を信頼してついて行くのだ。p106

多田 教える人間が、それを自分でもいいと思っていて、好きで、一所懸命自分の稽古をやっていれば、生徒の方も好きになりますから。p116

全面的に信頼してついて行く。
その人がシスの暗黒卿だとしても、地獄の底まで楽しむのだ。
 

本・映画 18:36 comments(0)



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